先生にインタビュー#4(岐阜大学芸術フォーラム)

geijyutsu_forum岐阜大学芸術フォーラム

私の大学時代お世話になりました野村幸弘先生が月1回開催されている「岐阜大学芸術フォーラム」に飛び入り参加して、参加者のみなさんに美術教育についての話を聞きました。
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美術をやる人は自虐的?

野村/作品を作っている人が「図工は役に立たないが、それが良いんだ」と公言することがありますけど、それでは話が通じないと思います。
加藤/自虐的ですよね。今私も「デザイナーの」って紹介されましたけど、いつまでたっても慣れないんですよ。中途半端だなって。立派な職業だと「○○やってます」って言えるんだろうけど。
野村/でも美術の中では、デザインがきっと一番役に立ってますよね。
浅井/直接生活に。
加藤/例えばお金のこととか、自立してるのか、胸を張って言えるのか、ということはなんとなく気恥ずかしいような。
野村/それは加藤さんのキャラクターでは?(笑)。加藤さんがかりに弁護士だったとしても、「いやー、弁護士ですいません」みたいな言い方すると思いますよ。
浅井/きっとそうだよね。

今昔、キットの教材について

浅井/私の小さかった頃には「キット」なんてない時代だったので、「明日は、走る車を作ります。材料を集めてきなさい。」って言われたら、うちにあるいろんな、お菓子箱とか。牛乳石けんの「赤箱」「青箱」ってわかる?そういうのとか。竹ひごとか、輪ゴムとか、全部自分で用意して持っていって作ったから、クラス全員が違う車ができたのね。
でも息子達が小学校の図工の時、きれいな色の付いたキットが1つ用意されていて、ぱっと見がみんな同じ車になっちゃうわけ。ああいう型にはめようとするのが、つまらなくしているような気がして。子どもが持って帰っても、ちょっと寂しいっていうか。その子たちもとっくに大人なので、また今は違ってるのかもしれないけど。
野村/宮川さんもキット世代じゃないの?
宮川/多少は。
浅井/学校や先生によっても違うみたい?キット注文しちゃえば楽だからね
野村/美術が専門じゃない先生は、どう授業していいかわからないから、プラモデルみたいに組み立てて終わりみたいなのを「それやりなさい」って言うんですよね。
良いキットもあるみたいだね。同じような材料なんだけど、いろんなものができるのがあるってこの前学生が言ってました。
浅井/そうですか。工夫してあればね。
野村/キットが全て悪いわけじゃなくて、やり方次第ですよね。

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美術が選択されない

野村/驚いたのは、高校で今まで〈芸術〉って〈美術・音楽・書道・工芸〉とか4分野ぐらいから好きなのを選択するんだけど、高校によっては選択肢の中に〈美術〉が無いんです。
「じゃあ何やってるの?」って聞いたら、「うちの高校は音楽と書道です」って。「どっち取ってるの?」って言ったら「音楽、好きなことやってます。楽しい」って。美術も音楽以上に好きなことやれるのに、美術は楽しいことじゃないみたいになっているんです。
高校に美術の先生がいないと、受験生を美術系の大学に送り込めないので、学生がどんどん減って定員割れする。全国的に危機的な状況になっています。

「役に立つ」と宣言しないと

野村/だからもう悠長なこと言ってる場合じゃないんですよね。本当に「役に立つ」っていうことを言わないと。
音楽は結構生き残ってますけど、なぜかと言うと、小中学校ではピアノの伴奏が絶対必要なんです。だから音楽の先生は減らないのです。
そうすると美術の先生は、学校で具体的に何の役に立ってるのか、ということになるわけです。先生自身が「役に立ってないかも」って言っちゃったら「いらないね」ってなりますよね。
体育は、「健康」に絶対必要だし、今感動を与えられるのはスポーツ、みたいな感じで、何でもスポーツだから、体育も無くならない。
家庭科も本当は危ないんだけど、何を主張してるかって言うと「食育」。全ての基本は食だと。うまいでしょみんな。だからなくなりません。
今うまく言えてないのは美術と技術。だから技術も減ってるんですよ。減るどころか無くなってしまう。深刻だと思います。

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5歳からの義務教育と発達

浅野/最近「5歳から義務教育」って言ってますよね?小学校入学前からもう義務教育が始まって、保育園も組み込まれて。自民党は学力をアップするために無償化すると言ってますので、保育園幼稚園でのお絵描きとか工作とかが今までより重要視されるかもしれないですね。
デュルセ/それをすごい嫌がってる友だちがいる。上の子が小学生で下の子が2人、保育園なんだけど、保育園ではまだなるべく字を書かせたくなくて、それより絵を描いたりとか、芸術的なことをしておいた方がいいって考えてるみたいで。もし義務教育になると、どうしても自分の子だけ文字を教わらないっていかなくなる。
野村/早く文字を憶えてしまうことによる弊害があるんです。ドイツのシュタイナー学校では「言語化できないものの領域がすごく大事」っていうことを言っていて。文字を憶える前に、色をいっぱい使って絵を描かせるらしいんです。それによって人の情操や感覚が変わるって言っています。それを幼い時にやらないで言葉の方を発達させてしまうと、逆に世界をトータルに認識できなくなるっていうのです。
デュルセ/私もそういう考えだったから、子どもになるべく保育園行かせずに。今大学生と高校生になってるんだけど、他の子どもたちと比べると、早く憶えたらすごく勉強ができるかというと疑問。

アメリカのキンダガーテン

浅井/「小学校に就学前の1年間は義務教育」っていうのはアメリカの真似ですよね。アメリカは公立の小学校の中に「キンダガーテン」て言って、日本の年長さんにあたるクラスがあって、小学校の中にあるから無料で行けるんです。
野村/そのカリキュラムがどうなってるのか?っていうことが多分問題だと思うんですよね。そこで何をしてるんでしょうか。
浅井/うちの子達は元気に遊んでましたけど。
野村/子供のころは遊んだ方がいいんですよね。山や川に行ったりとか、自然に触れて。
知的な能力が発達すれば文字を憶えるって段階があるので、いわゆるお勉強をそんなにあせってすることはないんです。それは教育学者が結構研究していると思います。

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得意と嫌いの間にある教育の意味

野村/僕が今勤めてる大学の美術教育に来る学生は、みんな子どもの時何か作って先生や親や友だちに見せたら褒められた、っていう「成功体験」があるんです。美術嫌いになる人のほとんどは、「うまくできるんだったらやりたい、でもできない」っていう人じゃないかな?うまくできないと続けたくないですよね。
それは別に美術に限らず体育でも音楽でもそうでしょ。自分にすごく運動能力があったら、体育おもしろくてしょうがない。でも劣っていたりするとやりたくない。音楽だって歌が下手だったら人前で歌いたくなくて、嫌いになって行くし。美術教育の学生に「君ら体育できるの?」って聞いたら、みんな「嫌い」っていう。でも人間って普通そうですよね。何でもできるオールマイティな人はいない。
だから、美術嫌いな人に「物づくりは楽しいよ」って伝えることは、けっこう難しいんじゃないかな。でも嫌いになることはないと僕は思っていて、その人たちが嫌いにならないような方法を、美術あるいはどの教育でも、やる必要がある。というか、そこに教育の意味があるって思います。

美術に優劣はある

野村/他の教科でもそうだけど、先生はできるから、みんなできて当然だって思ってるけど、できない人をどうすればいいかってことが大きな問題で、その点、教育はうまく機能してない気がします。
加藤/どうしても教育っていうのは優劣をつける。足ののろい子は「運動会嫌い、走るの嫌い」ってなっちゃいますよね。
野村/順位をつけないでみんな一緒に走って、という話がありましたよね。教育現場はそのあたりはものすごく試行錯誤してるんじゃないかな。美術も結構そうじゃない?けっこう神経尖らしてるんじゃないかな。
でも僕は美術って優劣があると思ってます。表現力が圧倒的!っていうのと、そうじゃないのと、ダントツに違う。でもそれあたりまえじゃないかな。ものすごい足が速いやつがいるのは当然で、足ののろいやつもいる。
紀子/遅かったら遅くてもいいんじゃないかと私はおもうんですけどね。それはその子の個性だからね。

アニメを描く人生

川本/誰にも得意なものはきっとあるんですよ。でもそれが例えばアニメだったら、一昔前は職業とも芸術とも大きい声では言えなかった。だけど宮崎駿みたいな人が有名になると、アニメーターっていうのがちょっと流行りましたよね。
野村/評価変わりましたよね、ここ20年ぐらいで。
川本/そういう分野が他にもいっぱいあるはずで、大人はその子が何に目を光らせるのかを見ていけばいいんじゃないかなと思うんですけどね。
浅野/僕の友人の娘さん、大学を卒業して銀行に入ったんですよ。ところが結婚すると同時に、相手の旦那さんも国家公務員をやめて、2人で東京行ってアニメ描いてんですよ。小さいマンションに住んで、1日中2人で、別々のを描いてる。それを、すごくでかい会場(※コミケ?)で発表する機会があるんですか、すごいたくさんの人たちがそこらじゅうから来て、何部と売れる。子どもいないみたいですけど、それ一生懸命やってる。
野村/特殊な能力ですよね。
浅野/見たことないからどんな作品か分かりませんけど、売れるっていうことは、買う人がいるわけで、それで生活できるっていうからすごいなって。
川本/好きで小さい頃からやってると、多分極められるんですよ、どんな分野であっても。だから一人一人の得意な分野を認めてあげて、その子がたった一人でものけ者にしないような、学校の態度が大事なんじゃないんですかね。
野村/その部分は先生の力量ですよね。人の才能を見つけて見守って伸ばしてあげるって、一番難しいところですよね。

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全てを学校に押し付けるのは疑問

野村/教育の機会均等って言うのは確かに大事なことだけど、それに捕われ過ぎてる気もします。何で皆英語やんなきゃいけないのか本当不思議。何割かの人はその教育を受けて力を発揮するっていうのは戦略としてはいいと思うんですけど。もうちょっと多様性みたいなことを認める方向に行かないと、マズいなって気がします。
全てを学校教育に期待しすぎですよね。そんなの無理に決まってる。ちょっと考えたらわかると思います。
学校教育でやれることといったら、どれもそんなにめちゃくちゃ嫌いにならない程度のことをするっていう、最低限ぐらいがいいんじゃないかって気がするんですよね。「学校で美術やったから美術を嫌いになった」とかとんでもない。何のため授業だったのって思います。

造形教室の可能性

デュルセ/私子ども向けに造形教室やってるんです。いつもものすごいいろんなことや、変わったこと、学校では絶対できないなって思いながらやります。写真撮ったり、ビデオやってみたり、デザイン的なことも。その子達が一生、作ることや何かすることを楽しめるようにっていうのが私の目標なんです。
すごい小さい地域だから、学校の先生達も良く知ってるんですけど、あまり美術に興味なくて、他のことで忙しい人ばかりです。
子どもたちを教えてる時には、だめなとこは「だめ」って言って「もうちょっとここ描こう」って言うんだけど、あーだこーだやるのをすごい楽しみにしてくれてて。でもその方法は、学校の短い時間ではできないじゃないですか。

教育の場は3つある

デュルセ/だから技術的にも時間的にも、いろんな意味で学校教育で全部やろうっていうのは絶対無理。一番大切なのはお母さんによる家庭教育だと思ってる。その次お父さんのサポート。それでできなかったらプロの人に頼む。
特に美術とか本当に学校ではないがしろにされてるから、他の場所で「美術っていいんだよ」っていうのをやれたらいいなって思ってます。
野村/学校教育の限られた時間の中でやっぱり美術は追いやられてきてるんですよ。教育には、今大事だって言われた「家庭教育」と、「社会教育」、「学校教育」と3つあって、学校教育でできない所は家庭と社会で補えますよね。
でも学校教育の中で、美術をちゃんと確保して、その中で万人に何を与えるかっていうことを真剣に考えた方がいいですよね。週1回でも2回でもあった時に、その少ない時間の中で、美術の何を教えるのかっていうことですよね。そこがポイントなのにあまり真剣に議論されてないように思います。

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美術はソロプレイヤーが多い

野村/スポーツは土日やったりとかけっこう充実してますよね。音楽はピアノ習ったりとか。美術は、お絵描き教室とかあるんだろうけど、実際統計取ったわけじゃないけども、そこに行く子どもの数がスポーツとか音楽に比べて減ってるんじゃないかって気がします。
デュルセ/美術やる人って、スポーツとか音楽とか集団でやる人と違って、1人でやるタイプの人が多くないですか。
スポーツってチームプレイだし、けっこう縦の関係とか横の関係とかものすごく強い。それで何十年も繋がってたり。音楽も。でも私が見た中では美術やってる人で、外へ外へっていうタイプの人少ないな。せいぜいグループ数人とか。
野村/確かにそういう傾向はありますね。

マンガを描く子はいる

デュルセ/この間入った子も、絵描くなんて全然知らなかったのに高校入ったら美術部に入ったり、隣の子も美大を受験したとかって。こんな田舎で美術やってる人いないと思ったけど、発表したりとか、表舞台にたたないだけでそういうパーセンテージって大体どこに行っても同じ。心の中ではちょっとマンガ描けたらいいなあと思ってる子がけっこういるみたい。
野村/さっきのコミケの話、何万人と集まるのすごいですよね。
デュルセ/でも他の人達は全然知らないじゃないですか。社会との接点がすごく少ない。アニメとして世界に出ればその人は出るけど、ものすごい数の人達が下にいることは世の中の人は知らない。
野村/そういう世界が現実にはあるんだけど、そこを学校教育ではあまり取り上げませんね。
デュルセ/一応教科書には載ってますよね。私が学校の時はそんなのなかったんだけど。アニメーションとかマンガっていうのは表現方法の1つとしては認められてる。
野村/ただ、授業の中で「みんなでマンガ描きましょう」っていうのは、まだないですよね?

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公共の美術館のあり方

野村/この間、県の人達と我々大学の者で、県の美術館を今後どうしようという意見の出し合いのワークショップをやりました。今まで県の美術館って、教育委員会の下にあったんですよ。ところが、いいことなのか悪いことなのか分からないけど、別の管轄の下に置くことにして、美術館は教育っていう視点じゃないところに持っていこうとしています。それで環境生活科や文化振興課の人達とかが来て話をしたわけです。
そこで、じゃあまず美術館て今までどんなイメージでしたか?とか美術館てこんな風だったらいいなって意見を出し合いました。僕のグループの中には文化振興課の人がいましたが、この4月に配属が変わって、「初めまして」てな感じで来て、「今までの人生の中で一番いい美術作品は何ですか?」って聞いたら、「好きな美術作品は1個もないです」だって。でも、マンガを挙げていました。マンガは好きなんです。
教育学部の中でも、僕の美術史の授業聞いていた理科教育の学生で、それまで美術館1回も来たことないし、全く美術に触れなかったって言っていた子がいる。そういう人達は「美術館ているの?」ってはっきり言う。ある意味正しいですよね。だってそういうことがなくても全然、生活に支障もないので、今さら「美術館どうしましょう?」って言われても「あったの?」みたいな。
そうやって税金を使って立派な美術館建てたり運営しても、全く美術に出会わなかった人は実はたくさんいます。その人達も義務教育を受けているはずなのに、ってことです。その問いは結構大事だと思っていて、今すごく大きな転換点に来てると思うんです。

音楽の世界でも

野村/音楽の世界では、オーケストラをどうするのかっていう話があって。岐阜県交響楽団は県の職員で、公務員扱いで音楽活動しています。つまり税金でやっています。それが全国何十とあって、定期公演にお客さんが来るけども、だんだん減ってきて。そうすると「本当にこの街にオーケストラ必要なの?」ってなる。
似てるんですよね。県の美術館も「お客さん来ないじゃん、どうするの?」って。どちらもそうなんですけど、西洋の物をもってきて、今100年以上経って、本当に根付いてるかどうかが試されていると思うんですよね。
西洋音楽とか西洋美術をちゃんと教育してないからだめなんだって言う人もいるけど、じゃあ学校の授業でできるの?っていったらなかなか難しい。クラシックファンはどんどん高齢化して、もうその次がいなくなっちゃったらオーディエンスとともに消え去る運命かもしれませんね。地方の公立の美術館や地方大学も統廃合して減ってくかもしれない。それは時代の流れだからやむを得ないかもしれません。
でも将来どうするかっていうビジョンは語り合って着地点を見つけて行くことはすごく大事ですよね。維持した方がいいのか、時代に合わせてボーンと変えちゃった方がいいのか。
川本/文化って言うのは変化してくもんで、日本では古来から漫才とか寄席とか変わってきて、西洋の物が入ってきて、今はみんなアニメが好きなんやったら、それが文化でしょ。美術館やめてアニメ館にしてもいいし、オケやめてカラオケでもいいですよ。
野村/僕はね、規模を縮小すればいいと思うんです。西洋音楽とか西洋美術は素晴らしいし、僕は大好きだけども、こんな大きな箱はいらないんじゃないかと思うんです。もうちょっとこじんまりした所に人がいっぱい集まったら、大盛況になるじゃないですか。

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イタリアでは高校で美術史が必修

加藤/例えばイタリアの人って、美術的な偏差値とか、学校の義務教育に図工・美術の時間がある無しとか、造形教室に通ってるのかとか、どうなんですか?
野村/イタリアではそういう教育現場に入らなかったので分からないですけど、教科書は日本の教科書と違うなっていうか。イタリアに限らず、ドイツとかイギリスなんかもですけど、けっこう理論的。技法が載っていたりする資料集が充実していて、具体的に授業でそれをどう使っているか分からないけれども、ちゃんとした科目として存在しています。
日本の美術の教科書って、あれもこれも、子どもたちがこんなの作って「楽しいでしょ」みたいなのを押しつけられてるみたいで、基本的に何を学んだり身につけるのかがあんまりなくて、なんか息抜きの時間ように扱われているような気がします。
驚いたのは、イタリアの高校では「美術史」が週に1回、必修である。日本は日本史、世界史でも選択だったりするぐらいで、ましてや美術の歴史が必修だなんて。誰もそんなこと考えないよね。
加藤/日本で言うと日本美術史っていうこと?
野村/イタリアを中心とした西洋美術史で、しかも教科書はこんな分厚いの3巻分なんですよ。古代から始まって現代まであって、高校に入った人はみんな、好き嫌い関係なく3巻全部読まなきゃいけない。
これが何を意味してるかっていうと、イタリアっていう国にはこれだけすごいものがあるから知っとけよ、っていう誇りを持たせるためにもう国家的にやってる。すごいなと思った。さすがにそれは、考えさせられた。
だって日本の教科書、こんな薄いじゃないですか。

日本にあまり売っていない色

デュルセ/私は造形教室で毎年いくつかコンクールに出してるんですけど、その中で、日本のJAが主催してる「世界子どもコンクール」っていうのがあるんです。
なんで毎年応募してるかっていうと、応募すると冊子が送られてくるんです。そこに出てくる作品がすごくおもしろい。やっぱ日本の子と描き方とか、視点とかが全然違うんです。
例えば色では、ピンクとか紫って、日本の絵の具に入ってないんですよね。でも向こうの子には「入ってるんだろうな」っていう色があるんですよ。変わった、微妙なヨーロピアンカラーみたいな色が。
こないだも子どもたちが、「こういう絵を描きたい」って、アメリカの雑誌みたいのを持ってきたんだけど、ヨーロピアンカラーのアイスクリームの絵で、「これはこの絵の具で描くのはちょっと難しいな」って思ったから、色鉛筆でこういう順番で描いたらこういう色になるよ、ってやらせてみたら子どもたちは「できた!」、って感じですごい満足したみたい。
元々日本で売ってる物にないからね。お金出して買えば別だけど、普通は売ってることも知らないからね。
加藤/おもしろさっていう点ではヨーロッパのやつはおもしろいよね?日本は手先が器用で技術があるのかもわからないけど。それを抜いた発想力とか奇抜さとかで、切れ味が違うなって思うんだけど。ポスターの世界とかでも。
浅野/たまたまどっかの小学校に行ったときに、子どもの絵がだーっと廊下にはってあったんだけどね、見たらその小学校が海外のどこか、ブラジルかアルゼンチンの学校と提携して国際交流で展示を毎年やってる。絵を送ってもらったり、送ったり。そういう草の根的なことやってのも、案外いいかも。

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時間が来て別の話題に移行しましたがとても素敵な時間を持てました。ありがとうございました!
(2014.6.7)

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